女子プロレス・シンドローム

女子プロレスが時代を映す鏡。歴史的な視点から現代の女子プロレスを追いかけます

刀羅ナツコの登場

  ドラマ、『極悪女王』のモデルになったダンプ松本だが、女子レスラーからの評判は極めて悪かった。愛川ゆず季は、トラウマになった試合としてダンプ松本戦を挙げていて、ライガーに試合の映像を見せた上で、ダンプ松本のことを否定している。アイスリボン藤本つかさも、苦手な選手としてダンプ松本を挙げている。

 

 プロレスというものをどう捉えるかということだが、全女という団体で、最もプロレスらしいプロレスをしていたのは、長与千種クラッシュ・ギャルズダンプ松本極悪同盟の時代ではないかと思っている。

 ベビーフェイスとヒールの分かりやすい構図。

 プロレスの醍醐味はリング上から贈られるメッセージを受け取ることで、ファンがそのメッセージを感受しやすくなるためには、ストーリーラインがあったほうがいい。

 前情報を持たなくても、一目で善玉と悪玉の闘いということが分かれば、試合を観ながらでもストーリーラインは勝手に組み上がっていく。だから、何もわからなくても、試合を観ているだけでボルテージは上がる。

 

 愛川ゆず季藤本つかさが拒絶反応を示したのとは対照的に、スターダムの刀羅ナツコダンプ松本を尊敬し、H.A.T.E.を立ち上げた。それまで一応大江戸隊というヒールユニットはあったが、悪ガキレベルで、ヒールとはいうものの、非常に頼りないものだった。

 

 刀羅ナツコは頭を坊主にして、ヒールに徹する覚悟を見せたのだ。そこに上谷沙弥という新しいタイプのヒールが生まれて、一気にブレークした。

 H.A.T.Eがでてくるまでの女子プロレスは、ベビー対ヒールの闘いというよりは、ストーリーラインの薄いままで試合を見せるプロレスばかりがあふれていた。そうなるとどうなるか?

 

 精魂尽き果てるような壮絶な試合を観れば、興奮するし、手に汗握る。大けがをしてもおかしくないような技を、双方が受け切って、どちらが勝っても、負けてもおかしくないような試合があれば、間違いなく感情が揺さぶられる。死力を尽くして戦う姿に心打たれる。そんな試合を続ければ、女子プロレス人気が上がっていく、ということになるのか?

 

 実際にそんな試合をやっていたのが、クラッシュ・ギャルズ極悪同盟が引退した後の全女だ。ブル中野を中心に、ヒール対ヒールというわかりにくい構図の中で、死を覚悟するような壮絶な試合をやり続けていた。

 しかし、それで女子プロレスの人気が出たかと言えば逆で、冬の時代に陥っていった。対抗戦が始まって、他団体が加わることで、やっと女子プロブームが訪れることになる。

 

 ノンフィクション作家の井田真木子の言葉を紹介しておく。

女子プロレスのーおそらく男子プロレスも同様だろうけどー根本的な面白さ、エキサイティングシーンは、時系列に添った<ドラマ>と、時間と関わりなしにリングという空間内に展開する<試合の充実度>のクロスオーバーするところに生まれる」

 

 H.A.T.E.にはこれからの女子プロレスを世間に広げるために頑張ってもらいたいと思う。ヒールというからには、悪いことをしなければならないわけで、もっとわかりやすい悪いことを考えて、どんどんやってもらいたい。

 

 

 

全女の亡霊とプロレスの再生 スターダム

 今、スターダムが人気を博すようになり、やっと女子プロレスがプロレスらしい展開になってきた。

 

 そもそもプロレスとは何かという話なのだが、単なるいがみ合いではなく、殴り合いでもなく、憎しみ合いでもない、リング上での戦いによって観客に何かを見せるエンターテイメントだ。

 

 では、いがみ合いで、殴り合いで、憎しみ合いのプロレスなんてあるのかという話になるが、ある。それが全女(全日本女子プロレス)のプロレスだ。『極悪女王』で話題になったが、いびつな競争で選手たちを追い立て、意図的にお互いを憎み合わせ、感情をそのままリングでぶつける、そんなプロレスだ。

 

 noteで、『北斗晶よ、女子プロレスを謝罪しろ!』というノンフィクションを連載しているが、1993年に行われた、女子プロレス団体対抗戦を調べていて、全女のあまりにいびつな姿には閉口するしかなかった。

 

 全女のリングで行われる闘いは憎しみ合いだし、つぶし合い、殴り合いだ。対抗戦以前、対抗戦以降は、エンターテイメント的な要素が盛り込まれているけれども、基本的には選手たちの生の感情を観客に見せることで、観客の心をつかんでいた。果たしてそれをプロレスらしいプロレスと呼んでいいのか、という話なのだ。

 

 全女は1997年に事実上倒産し、金融取引ができない状態で興行を続け、2005年に解散している。全女がなくなってからすでに20年が過ぎているが、女子プロレス界には全女の亡霊がさまよい続け、女子プロレスがプロレスらしいプロレスになることをさまたげ続けてきたというのが実際のところだ。

 

 スターダムに新日本を傘下に持つブシロードが運営するようになり、さらにスターダムからロッシー小川が抜けたことで、一気にプロレスらしいプロレスになり、狭い世界で完全に閉じられていた女子プロレスが、世間から注目されるようになった。

 

 果たしてこれからどうなっていくのか、俯瞰的な視点から観察していきたいと思っている。